屏風まくり絵画●江戸後期 唐子遊戯図(仮題) 横山崋山写 2113 風俗画 真作 本物

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落款と筆のヒッチから華山と判断しました。左におしくらまんじゅうをしているらしき数人の子供がおり、右側に左にいる兄に向って仲間に入れてと駆け込む弟が一人描かれています。なかなか動きのある絵です。万一真作でなかった場合返品に応じます。

横山 華山(よこやま かざん、天明元年(1781年)または天明4年(1784年)[1] - 天保8年3月16日[2](1837年4月20日))は、江戸時代後期の絵師。名は暉三、または一章、字(あざな)は舜朗。通称は主馬。中国名風に「黄華山」と署名する例もある。京都出身(越前出身説あり)。福井藩松平家の藩医の家に生まれる。白井華陽著『画乗要略』によれば、若い頃は家が貧しく生計を立てるため、北野天満宮で砂絵を描いてその日暮らしをしていたという。西陣織業を営む横山家の分家横山惟馨の養子となり、本家が支援した曾我蕭白に私淑。始めは養父の師である狩野派の絵師江村春甫や村上東洲についたとされるが、直接師事した形跡はなく、養父惟馨から学んだと推測される[3]。長じて岸駒に師事、のちに円山応挙や四条派の呉春の影響を受けた。一般に絵師は晩年になると筆力が衰えるとされるが、華山は例外で最晩年に至るまで雄渾な大作を手がけている。酒好きだったらしく、古い書画辞典などでは華山は常に詫び状を懐中に入れ、酒席で失敗するとそれに署名し、その場で席画を描いて詫び状と共に相手に渡したという逸話が載っている(『画家逸事談』)。特に風俗画に優品が多く、華山の弟子たちにも書き継がれる画題となっている。同時代にこれほど多くの風俗画を手掛けた絵師や画系は見当たらず、華山一派の大きな特徴と言える。華山の絵には墨の使い方が特徴的で、墨を絵具の一種として扱い、「墨で書く」というより「墨を塗る」という新しい感覚が見られる[4]。線質も筆さばきを意識するより、現在のスケッチ近い均質な速度で、紙を撫でるような描き方をしている[5]。出典:ウィキペディア
サイズは78.5×112.7㎝が2枚です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年によるシミヤケと若干の当り傷があります。発送は丸めてゆうパック100サイズを予定しています。東北関東東海信越北陸地区の場合1330円です。

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